パナマシティ乗り継ぎ、まさかのアップグレード
パナマシティ, パナマ
ペルーへの旅はパナマシティでの乗り継ぎから。最低額で入れたアップグレード入札が、まさかの落札になった。
旅
パナマシティでの思わぬアップグレードから、リマ、クスコ、マチュピチュ、そしてマチュピチュ村の山歩きまで。
2026年7月24日–31日 · パナマシティ · リマ · クスコ · +2 · 6件の記事

パナマシティ, パナマ
ペルーへの旅はパナマシティでの乗り継ぎから。最低額で入れたアップグレード入札が、まさかの落札になった。
リマ, ペルー
リマ初日はフードツアーへ。南国フルーツ、セビーチェ、チーファ、そしてバランコの老舗バーを巡った。
リマ, ペルー
アルマス広場やリマ大聖堂、ラルコ博物館を巡り、街の交通や観光事情、ペルー料理にも触れた数日間。
クスコ, ペルー
クスコ周辺に点在する遺跡を巡り、インカの段々畑や今も使われる塩田、アンデスの景色に出会った。
マチュピチュ, ペルー
飛行機、車、列車、そして山道を上るバスを乗り継ぎ、今回の旅の主役・マチュピチュにたどり着いた。
マチュピチュ村, ペルー
なかなか厳しいホテルから外へ逃げ出し、二つの滝と蝶園、マチュピチュの山裾まで歩いた旅の最終日。
ペルーへの旅はパナマシティでの乗り継ぎから。最低額で入れたアップグレード入札が、まさかの落札になった。
パナマに入国したわけではなく、パナマシティではただ乗り継いだだけ。それでも、ここが今回のペルー旅のスタート地点だった。
わざわざ書いておきたいのは、乗り継ぎの間にちょっと運のいいことがあったからだ。乗ったのはコパ航空。南米の航空会社には、有料アップグレードを入札で決める仕組みがけっこうあるらしい。エコノミーから上のクラスへ上がるための金額を、自分で決めて入札する。ほかの人がいくら出したかは見えない、完全なブラインド方式だ。画面には最低額と最高額が表示されるのだが、最高額は「今すぐアップグレード」の価格より高い。何のための上限なのか、正直よくわからない。
まあ試すだけ試してみようと、迷わず最低額を選んだ。600ドル少し(約9万4,500円)の航空券に対して、アップグレードの入札は400ドル(約6万3,000円)。すると、まさかの落札。以前アルゼンチンへ行ったときは最低額よりずっと高く入れても落ちたのに、今回はあっさり通った。たぶん、この便ではほかに本気で入札する人があまりいなかったのだろう。
リマ初日はフードツアーへ。南国フルーツ、セビーチェ、チーファ、そしてバランコの老舗バーを巡った。
午後にリマへ到着し、そのままフードツアーに参加した。ペルーらしいものを片っ端から味見していくツアーで、南国フルーツを生で食べたり、見慣れない小さなお菓子を試したりする。
ここで初めて食べたのが、ペルーを代表する料理のセビーチェ。白身の生魚に生の玉ねぎと少しの葉物を合わせ、柑橘の汁で締めた料理だ。そのときは有名なものだと知らず、「よくわからないペルー料理」くらいの気持ちで口にした。あとで国民的な一皿だと知ったのだが、僕には酸味と生玉ねぎの刺激がかなり強かった。写真も撮っていない。
次は中華系ペルー料理の店へ。ペルーでは、こうした中華料理店をまとめて「チーファ(Chifa)」と呼ぶ。100年以上前に渡ってきた中国系移民の食文化から生まれたもので、名前は中国語の「吃飯(チーファン/食事をする)」が現地の発音に変わったものだとよく説明されている。
厨房にいたシェフは中国人ではなかったが、鍋振りはかなり見事だった。作ってくれたのは、とろみのあるソースをまとった牛肉料理。味はPanda Expressに近い。中国料理として見ると、少し火を通しすぎている感じはした。
午後、街を移動している途中で、リマでは有名らしいストリートアートのエリアにも立ち寄った。いちばん印象に残った作品がこちら。
夜はバランコ地区のJuanitoへ。1937年にJuan Casusolが始めた老舗バーで、長年、作家や芸術家が集まるボヘミアン文化の拠点になってきた。外観は驚くほど控えめで、目立つ看板もほとんどない。今もCasusol家が経営している。創業者は小柄だったため、親しみを込めたスペイン語の縮小辞をつけて「Juanito(小さなJuan)」と呼ばれていたそうだ。
アルマス広場やリマ大聖堂、ラルコ博物館を巡り、街の交通や観光事情、ペルー料理にも触れた数日間。
それから数日間、いくつかの日帰りツアーに参加して、リマの中心部とその周辺をあちこち見て回った。
最初は旧市街の中心にあるアルマス広場。マヨール広場とも呼ばれている。
ちょうどペルーの独立記念日の時期で、さらに5年ごとの大統領就任式も近づいていた。そのため広場の中央はすべて封鎖され、中に入れない。仕方なく外周をぐるっと歩いた。
続いてリマ大聖堂へ。1535年、植民都市リマを築いたスペイン人征服者フランシスコ・ピサロが礎石を置いたとされる教会で、内部には彼にまつわるものが多い。ピサロが二度目のペルー遠征でガジョ島に足止めされたとき、パナマへ戻りたがる部下たちの前で砂に一本の線を引いた、という有名な話もある。その線を越えて南へ進むことを選んだのは、のちに「名高き13人」と呼ばれる13人だけ。「南へ行って富をつかむか、北へ戻って貧しいままでいるか」と迫った、と伝えられている。
小さな博物館や収蔵館もいくつか見学した。周辺で出土する小型の遺物があまりにも多く、棚が何段も必要になるほどだ。その中でいちばん気に入ったのは、このなんとも言えない表情。
ラルコ博物館には、さらに強烈な展示がある。古代ペルー、特にモチェ文化の性愛表現を扱う独立展示「性と命の世界(Checan Erotic Gallery)」だ。博物館自身も、古代ペルーの性とエロティシズムを伝える重要なコレクションとして紹介している。
リマではUberがとても使いやすく、移動手段を細かく考えずに街中を飛び回れた。ただし運転はかなり激しい。タクシーの多くはマニュアル車で、狭い隙間への割り込みや追い越しがとにかくギリギリ。何度も「これは当たる」と思ったのに、結局一度も当たらない。腕があるからこそできる運転なのだろう。
ペルーは観光インフラもかなり整っていた。国全体の発展度から想像していた以上だ。ちゃんとした店構えさえあれば、小さな売店でもカード端末が出てくる。長く使っていなかったのか、その場で充電して再起動することはあったけれど、とにかく使える。現金が必要だったのは路上の露店くらいだった。観光地のトイレも、水洗、紙、石けん、水道がきちんとそろっている。「ホルダーはあるけど中身は空」というタイプではなく、本当に全部ある。以前行ったオーストラリアやニュージーランドでも、ここまで安定してはいなかったので驚いた。
そして、この数日はペルー料理もかなり食べた。何をもって「ペルーらしい料理」と呼ぶのか、僕にはまだよくわからない。そこで最近のAIに頼ることにした。レストランではメニューを全部スマホで撮り、ChatGPTに送っておすすめを選んでもらう。英語のメニューすら読む気が起きないくらい、完全に怠けていた。
なかでもペルーらしさが強かったのは、たぶんクイ(モルモット)の丸焼き。ほかの国ではペットなのに、ペルーでは立派な料理になる。
ペルー料理の盛り合わせも注文した。右下にあるのが、あのセビーチェ。そして飲み物もなかなか不思議で、アイスアメリカーノにパッションフルーツジュースを合わせたもの。そんな組み合わせ、本当にあるんだ……。
これでリマでの予定は終了。次はクスコへ向かう。
クスコ周辺に点在する遺跡を巡り、インカの段々畑や今も使われる塩田、アンデスの景色に出会った。
クスコ周辺のいちばん大きな特徴は、とにかく遺跡が多いこと。数え切れないほどあり、途中からどの遺跡がどの名前だったのか、正直かなり怪しくなってきた。
インカの人々は段々畑で斜面を安定させ、耕せる土地を大きく広げた。そのため、この一帯の山には段々畑が本当に多い。山では昼夜の寒暖差が大きく、高さが変わると気温だけでなく、場合によっては育つ作物まで変わる。下の円形の段々畑は、どの標高で何を育てるのがよいか調べるための実験場だったと説明された。
次は塩田。山から湧く塩分の多い水を何層もの浅い棚田へ流し込み、太陽の熱で乾かして塩を採る。かなり長い歴史を持つ場所だが、単なる遺跡ではない。見学中も実際に人が働いていて、今も塩を生産していた。
移動中に見えたアンデスの景色もよかった。
この数日間は、いくつもの一日ツアーや半日ツアーに参加した。遺跡を見るだけでなく、人と話すたびに知らなかったことが増えていく。こういう瞬間が、旅をする意味のひとつなのかもしれない。
まず印象に残ったのは、ヨーロッパにルーツを持つ人が多いこと。数百年前にスペインの植民地だった歴史はもちろんあるが、僕が会ったガイドたちは、もっと最近のつながりを持っていた。親や祖父母がヨーロッパ出身だったり、自分自身がヨーロッパで生まれていたりする。国際結婚や多文化の家族が、ごく普通のこととして受け止められているように見えた。中国、日本、韓国を含む東アジアでは、国際結婚は今でも少し特別なこととして見られがちなので、その違いは大きかった。
もうひとつ驚いたのが、みんなが扱う言語の多さだ。もちろん、僕が会ったのはガイドが中心なので偏りはある。それでも観光業の人だけではない。クスコの小さな店に入っても、店主がかなり自然な英語を話すことがよくあった。スペイン語に加え、この地域ではケチュア語を母語とする人も多い。気づけば3言語が当たり前、という人もいる。中国では英語を流暢に話せるだけでも十分すごく、さらにもう1言語となれば尊敬されるレベルだ。ここでは、それがスタート地点に見えることさえあった。
ツアーに参加していたヨーロッパ人たちも負けていない。ある日、スペイン語も英語も話せないイタリア人が2人参加していた。イタリア語とスペイン語は似ているから何とかなる、という勢いでペルーまで来たらしい。ガイドが困っていると、別の参加者が「スペイン語もイタリア語も話せるから通訳するよ」とすっと現れた。そんな人が普通に同じツアーにいるのがすごい。
とはいえ、ガイド全員の英語が上手なわけではない。仕事に必要な専門用語はかなり覚えていても、文章になるとほとんど作れず、単語を並べながら途中にスペイン語が混ざる人もいた。僕も少しだけスペイン語がわかるので、何が起きているかは気づける。でも説明全体を理解するのはかなり難しかった。英語が母語なら、強いアクセントや混ざった単語からでも意味を補えたのかもしれない。残念ながら僕にはそこまでできず、自分の英語もまだまだだと実感した。
これでクスコ周辺の旅は終了。次はいよいよマチュピチュへ。
飛行機、車、列車、そして山道を上るバスを乗り継ぎ、今回の旅の主役・マチュピチュにたどり着いた。
この日、ついに今回の旅のメイン、マチュピチュへやって来た。
ここは、今まで行った有名観光地の中でもトップクラスにたどり着くのが大変だった。これ以上となると南極くらいかもしれない。新・世界七不思議の中でも、かなり行きにくい場所だと思う。まず遠い南米まで来て、そこから飛行機でクスコへ。標高3,400 mを超える街なので、高山病を避けるために体を慣らす時間も必要だ。さらにクスコから車で約2時間、聖なる谷のウルバンバへ移動して列車に乗り、約1時間半かけてマチュピチュ村へ。最後は2時間半ほど山を登るか、かなりスリリングなつづら折りの道をバスで20分上る。そこでようやく入口に到着する。有名観光地で、ここまで工程が多い場所はなかなかない。
でも着いてみると、その苦労には全部価値があった。ガイドから歴史の話をたくさん聞いたけれど、ここは説明を並べるより、まず写真を見てもらうほうが早い。
さらに全景を一枚。
光が動くにつれて、街全体の色や質感まで変わって見える。
僕が買えたのはサーキット3。市街地の内部まで入れる一方、いちばん高い場所からの定番の俯瞰写真は撮れない。サーキット2は、高所からの全景と内部の見学を両方楽しめるため、いちばん人気らしい。当然、売り切れるのも早い。オンラインでサーキット2を取りたいなら、半年前くらいから動いたほうがいい。3か月前ではもう遅かった。マチュピチュも、ついに「半年前予約クラブ」の仲間入りだ。
オンラインで取れなくても、現地販売という手段はある。マチュピチュ村の窓口では、翌日以降の券を毎日1,000枚販売している。ただ、繁忙期は翌日分がすでに売り切れていることも多い。その朝ガイドがアプリを開くと、翌日は完売、翌々日はまだ半分ほど残っていた。ガイドによると、現地券を買うのはペルー人や近隣国から来た旅行者が多いらしい。学校の休みに家族で「マチュピチュへ行こう」と決め、まず現地で取れる日を押さえる。その日までクスコ周辺で過ごし、予約日にまた戻ってくる。そんな旅の組み方ができるのは、やはり近い国ならではだ。
この街は山そのものの上に造られている。削られていない岩盤が建物を支えている場所もあれば、自然の岩がそのまま壁や基礎の一部になっている場所もある。
別の角度からも何枚か。
最後に実用的な話。日焼け対策は必須で、虫よけもあったほうがいい。暑いのにガイドがずっと手袋をしていて、最初は理由がわからなかった。自分の手を蚊に何か所も刺された瞬間、全部理解した。
山の上には、唯一のホテルがある。1泊およそ35万円。場所を見るかぎり、カーテンを開けたらマチュピチュがそのまま見えそうだ。お金を気にしなくていい人の旅は、選択肢の幅が本当に広い。
ガイドからは、中央広場にかつて大きな一枚岩があったという話も聞いた。スペイン国王がヘリコプターで訪れた際、着陸の邪魔になるため一度外され、訪問後に戻されたらしい。その後、別の中南米の要人が来たときにもう一度外したところ、今度は壊れて元に戻せなくなったという。なんとも気まずい結末だ。
なかなか厳しいホテルから外へ逃げ出し、二つの滝と蝶園、マチュピチュの山裾まで歩いた旅の最終日。
旅の最終日は、マチュピチュ村(アグアス・カリエンテス)の周辺を歩くことにした。というより、ほかに選択肢がなかった。
まず、泊まっていた3つ星ホテル「Flower’s House MachuPicchu」には文句を言わせてほしい。問題が一つではない。
最初はネット。各階にWi-Fiがあるのに、僕が泊まった5階だけない。ただ、4階と6階の電波は強く、パスワードも共通なので接続自体はできた。接続はできたのだが、ネットにはほぼつながらない。Googleのトップページを開くだけで30秒近くかかり、ほかのサイトはもう諦めたほうが早い。別の階のWi-Fiだからだめなのかと思い、フロントで「5階にWi-Fiがない」と伝えた。するとスタッフは、スマホのモバイル通信をいったん切ってから5階のWi-Fiを確認し始めた。ホテルの回線がどれだけひどいか、本人もよく知っているらしい。普段からWi-Fiではなく自分の通信を使っているわけだ。
次は冷たい水が出ないこと。お湯が出ないホテルなら何度も経験した。給湯器が壊れるのは、まあわかる。でも冷水がないのは初めてだ。昼間は手を洗うだけで、配管に残っていた冷たい水を使っていたため気づかなかった。夜、顔を洗おうとして初めて問題が発覚。蛇口を30秒ほど流すと、触れた手を反射的に引っ込めるくらい熱くなる。再びフロントへ行くと、これも事情は把握している様子だった。何かの修理で冷水の配管を日常的に止めているらしく、「10分で戻る」と言われた。実際、そのときは戻った。でも寝る前だけ。夜中にトイレへ起きたら、また冷水が消えていた。手を洗うなら、熱湯になる前に急ぐしかない。
最後は騒音。建物がかなり古く、窓がきちんと閉まらないので、防音という概念がほぼない。しかも駅に近いため、朝5時に始発列車の汽笛が鳴ったら睡眠終了。ただ、耳栓があったので多少は助かった。ここでは耳栓必須。
つまり、昼間ホテルにいるのは無理だった。ネットも水もまともに使えない場所で、どう休めというのか。本当なら部屋で一日だらだらしていたかもしれないが、こうなったら外へ出るしかない。行き先は前日のガイドに教えてもらった。ChatGPTにもいくつか候補を出してもらったが、ガイドから「行けるけど、歩いて片道3時間だよ。たぶん行きたくないと思う」と言われた。うん、それは行きたくない。
まず町の北東にある滝へ向かった。途中には露天のMachu Picchu Hot Springsがある。脇の山道から全体を見下ろせた。温泉なのかどうか少し不安になる水が、10平方メートルほどの小さなプールに引かれている。表面は見えるが、底は見えない。タオルの貸し出しもなく、自分で持ってくる必要がある。温泉が本当に好きな人でなければ、無理に入らなくてもいいと思う。
そこから山を10分ほど登ると、最初の滝、Cataratas de Aguas Calientesに着いた。こちらはきちんと整備された観光地で、温泉と同じ入口から入り、入場料は現金でもカードでも払える。山道には木のベンチが何度も現れるので、休みながら楽に登れた。
いったん下山し、二つ目のAllcamayo Waterfallsへ。こちらは本当に整備されていない。まず15分ほど、でこぼこした石だらけの急坂を登り、小さな休憩所のような売店へ向かう。途中に座れる場所は一つもなく、休みたければ立ったまま脚に手をつくしかない。たった15分なのに、着いた時点ですでにかなり疲れた。売店でチケットを買う。ここも現金とカードの両方が使えた。さらに5分ほど進むと、最初の「滝」に到着。見た瞬間の感想は、これを滝と呼ぶのか……?
そこから10分もかからず、二つ目の滝へ。こっちはちゃんと滝らしい。
ほとんど手つかずの森なので、道はかなり歩きにくい。けが、特に足首をひねるのは絶対に避けたい。ここで動けなくなったら本当に大変だ。そして虫よけも強くおすすめする。道の途中から、正体不明の大きなハチのような虫がずっと僕についてきた。ミツバチなのかスズメバチなのかもわからない。滝までついてきて、帰り道も森を出る少し前まで一緒。怖すぎる。こんな同行者はいらないので、虫よけは持っていったほうがいい。
正直、よほどのハイキング好きでなければ、この二つ目の滝は行かなくてもいいと思う。最初の滝に比べて体力を使いすぎるわりに、見返りはそこまで大きくない。森から出たときには、服がほぼ汗でびしょびしょだった。
その後は、マチュピチュの山裾にある蝶園「Mariposario of Machu Picchu」まで歩いた。なぜ歩いたのかというと、この町では普通、車という選択肢がほぼないからだ。車は荷物の運搬や、観光客をマチュピチュへ運ぶバスなど、特別な用途に限られている。基本はどこへ行くにも徒歩。
蝶園ではたくさんの蝶を見られる。いろいろな種類がいるという説明だったが、訪れたときは特定の一種がかなり多かった。
最後の最後に、山の下からマチュピチュを見上げる、かなりぼんやりした一枚を撮った。
これで今回の旅は無事終了。