ブエノスアイレスから始まる南極への旅

長くて不安だらけのビザ申請を乗り越え、南極へ向かう前にブエノスアイレスを3日間歩いた。

今回の南極への旅は、アルゼンチンの首都から始まった。

国際的な慣例に従えば、海外旅行はまずビザから始まる。そして今回、アルゼンチンのビザにまた盛大にやられた。

僕たちが申請した当時の制度では、中国のパスポートでも条件を満たすアメリカやシェンゲン圏のビザ――ほかにも対象国はいくつかあった――を持っていれば、簡略化された入国制度を利用できた。ところがアメリカのグリーンカードは対象外だった。さすがに意味が分からない。アメリカのビザを持つ人はアルゼンチンに居残らないけれど、アメリカ永住者のほうが居残る可能性が高いと思っているのか? 僕にはまったく合理的に見えなかった。

とはいえ制度は制度なので、アルゼンチンのビザを取るしかない。申請自体はそこまで複雑ではない。旅行計画、ホテルと航空券、残高証明など、求められるのはいつもの書類だ。問題は、当時アメリカで申請する僕たちの場合、旅行のおよそ90日前になるまで提出できなかったことだ。飛行機の到着は2025年1月12日なので、実際に申請できるのは2024年10月14日ごろ以降の営業日だった。

それだけならまだよかった。当時ネットで調べたところ、中国国内で申請する場合はもっと早く出せるうえ、半年、場合によっては一年有効のビザが出る可能性もあるらしかった。一方、アメリカでは出発のおよそ90日前にならないと申請できず、ビザそのものの入国用の有効期間も発給日からきっかり90日。一日も長くなく、開始日は必ず発給日だった。これが出発のおよそ90日前になるまで申請できない理由なのかもしれない。もっと早く発給されたら、出発する前にビザが切れてしまう。僕たちは一度、本気で中国へ戻って申請することまで考えた。書類はオンライン提出で、面接もたぶん不要。本人がどこにいるかなど気にされないのでは、と思ったのだ。しかし要件を調べると、中国での収入証明や預金証明などが必要で、僕たちにはそちらのほうが面倒だった。結局やめた。

しかもまだ終わらない。アメリカ国内のアルゼンチン領事館は、場所ごとに仕事の進め方が違うらしい。それぞれ独自のページがあり、ネットの書き込みでは速いところも遅いところもある。僕たちを担当するカリフォルニアのロサンゼルス領事館は特に遅いと、かなり叩かれていた。イリノイ州の領事館はものすごく速いという話もあった。そこで、イリノイに住む友人の住所を書いて、そちらで申請できないか試すことまで真剣に考えた。ただし実行はしていない。結局、その領事館へ送ったメールが二か月たっても返ってこなかったので、「仕事が速い」という評判には疑問が残った。余計なことはしないことにした。

最終的にロサンゼルス領事館へ申請した。そしてこの領事館の効率は、本当に頭を抱えるレベルだった。書類提出メールへの自動返信には、5〜10営業日後に返答すると書いてあった。10営業日たっても返事がないので、もう一度メールした。今度も自動返信で、15〜20営業日待てと言う。さらに5営業日後にまた送ると、今度は20〜25営業日待てという自動返信だった。しかも「11月以降に提出された申請は翌年まで処理されない」という一文まで追加されていた。

いや、この一か月、何も進んでないじゃないか。いつメールしても、待ち時間がさらに10日先へ伸びるだけだった。ネットで読んだ「アルゼンチン領事館が遅すぎて、出発直前までビザが出ず、航空券を変更しかけた」という話は、本当だったのかと実感した。

この状態は11月末ごろまで続いた。僕たちはめちゃくちゃ不安だったが、どうしようもない。メールしても意味のない自動返信だけ。電話がつながったら奇跡である。

11月末、ようやく領事館からメールが来た。12月初めにオンライン面接をしたいので、いつ空いているかと聞かれた。考えるまでもない。いつでも空いている。そちらが日時を決めてください。必要なら仕事を休んででも出ます。また何が起きるか分からないのだから。

申請できる最初の営業日に出しておいて、本当によかった。もし11月まで延ばしていたら――実際にはたった二週間遅らせるだけだが――南極旅行そのものが本気で中止になっていたかもしれない。

そして面接当日、案の定また何か起きた。30分の面接なのに、面接官はきっちり34分遅刻した。ただ今回は以前ほど慌てなかった。WhatsAppのビデオ通話で、すでに面接官の連絡先を追加していたからだ。開始時刻から10分後、かなり丁寧なメッセージを送った。表面上は礼儀正しいが、要するに「どこにいるんですか?」である。もちろん反応はない。それでも待ち続けたかいがあり、最終的には面接官が現れた。前の面接が長引いたらしい。まあいい。僕たちのビザを握っているのは向こうだ。こちらに文句を言う余地などない。

面接そのものはとても順調だった。提出書類はかなりそろっていた。面接官は必要書類と照らし合わせ、「追加はこの二つだけでいい」と言った。似たものはすでに出してあり、僕たちは十分だと思っていたが、今回は必要なものをはっきり指定してくれた。さらに親切なことに、新しい書類の受領確認を待たず、パスポートもすぐ郵送していいと言う。二つを並行して進められる。そこで言われたとおりにした。

面接はすぐ終わり、僕たちは追加書類をメールで送った。すると当然のように、25営業日待つよう勧める自動返信が来た。受け取ったのかどうかさえ分からない。

この期間は前よりさらに不安だった。今度はパスポートまで手元にない。結局、書類はちゃんと届いていた。パスポートを送ってから約二週間後、新しいアルゼンチンビザが貼られて戻ってきた。その日はもう12月23日。出発まで三週間を切っていた。

つまり、アルゼンチンのビザを取るなら絶対に早く動くべきだ。遅れたら本当に終わる。ただ考えてみると、ここの読者は中国人なら中国で申請できてもっと早く始められるし、アメリカ人ならそもそもビザがいらない。僕の忠告、あまり役に立たない気もする。

何はともあれ、無事に出発できた。

ここで、なぜブエノスアイレスへ来たのかを書いておく。南極行きの船はウシュアイアから出る。アメリカから飛ぶなら、どうしてもブエノスアイレスで乗り継ぐことになる。これはもう「せっかくここまで来たんだから、ついでに遊ぼう」だけの話ではなかった。当時僕たちが探した旅程では、ブエノスアイレスで空港を移動する乗り継ぎがかなり多かった。そう、見間違いではない。ブエノスアイレスには空港が複数ある。しかもそこまで遠くはなく、渋滞がなければ車で数十分ほどだった。

だったら、せっかくここまで来たんだから……。

しかも南極ツアーの開始日は水曜日。アメリカを出るなら遅くとも月曜の昼だ。つまり、その週はどうせ丸ごと休まなければならない。それなら前の金曜の夜に出発すればいい。同じ休暇日数で、アルゼンチンに長く滞在できる。どうせ休みを取るのだから……。

そういうわけで、到着日を含めてブエノスアイレスに三日間滞在した。

初日は昼に到着。入国審査で、アルゼンチンの力の抜け具合にさっそく驚かされた。入国審査官がスマホを見ながら僕たちの手続きをしていた。本当に、ちゃんとスマホの動画を見ている。僕たちのパスポートに何か確認事項が出たらしく、僕らをその場に残し、パスポートだけを持って奥の部屋へ行った。その移動中も、片手にパスポート、もう片方に動画を流したスマホ。見ながら歩いていた。僕も20か国以上行ったが、こんな入国審査は初めてだった。

入国自体は順調だった。スマホのせいで待ち時間が延びたかどうかは置いておくとして、問題は何も起きなかった。奥から戻ると、そのまま通してくれた。

空港からホテルまではUberを呼んだ。すると今度は運転手がまた驚かせてくれた。運転しながらスマホを触っている。まあ、僕に何が言える。道路では安全第一。運転中くらいスマホから目を離してほしい。

午後はホテルで休み、夜はアルゼンチンタンゴのディナーショーを予約した。簡単に言えば、小さな会場でステージのタンゴを見ながら夕食を食べる。Viatorで探すと、こうしたタンゴディナーはブエノスアイレスでも特に人気の高い観光体験の一つで、提供しているところが本当にたくさんあった。そこで適当に一つ選んだ。

夕食については特に評価しない。普通の夕食だった。ただ、このタンゴはさすがに本場のアルゼンチンタンゴと呼んでいいだろう。これほど街に根づいた定番のショーまで本場でないなら、何を本場と呼べばいいのか分からない。

二日目は、ブエノスアイレスの人気スポットを一日で巡るツアーに参加した。事前にネットで調べると、ブエノスアイレスはかなり危ないと言われていて、バイクなどで走りながら物をひったくる事件も珍しくないらしかった。そこで旅行前にスマホ用ストラップを二本買い、手首に結びつけた。これならひったくられても、スマホが残るか、手がなくなるかのどちらかだ。ガイドからも、見た目は安全そうでも絶対に金目のものを見せるな、と注意された。たとえば一眼レフをむき出しで手に持つなんて、どうぞ奪ってくださいと言っているようなものらしい。幸い、この日は何も盗られなかった。運がよかったのか、治安がよくなったのかは分からない。

中でも一番有名なのは、たぶんカミニートだ。Caminitoはスペイン語で「小道」くらいの意味らしい。

その後、ブエノスアイレス中心部にあるこの書店にも行った。友人への土産に、スペイン語原版の『百年の孤独』を探した。残念ながらスペイン語力が足りず、結局見つけられなかった。たぶん、どこかには置いてあったと思う。

三日目は、ブエノスアイレス郊外の牧場で一日体験をした。ただ正直、このツアーはちょっと内容が薄かった。一日の大半は車に乗っているか、特に何もせずに過ごしていた。その中で馬術ショーを見たのだが、最初から後ろ向きに馬へ乗る技を披露してきた。人馬一体、まさに人と自然の調和である。

このショーから大きな学びを得た。今後、誰かが「馬に乗れる」と言ったら、まずこれを見せてもらうことにする。

これでブエノスアイレスの日程は終了。次は飛行機で世界の果て、ウシュアイアへ向かう。

ウシュアイアから出航:南極への旅が始まる

船選びとルート計画、ドレーク海峡への覚悟を経て、ついにウシュアイアで南極行きの船に乗り込んだ。

ウシュアイアに到着。いよいよ南極への旅が始まる!

何しろ南極だ。ずっと前から行きたくて仕方がなかった。何年か前にネットで調べたとき、南極行きの船は予約がとにかく難しく、基本的には一年前から押さえる必要があると書かれていた。僕が実際に予約したのは前年の4月。なぜ4月だったかというと、それまではエジプトのことで忙しかったからだ。それに、見ていた旅行代理店のツアーページにはずっと空きがあったので、帰ってから予約すればいいと思っていた。

そして、自分がまだ甘かったことを思い知った。代理店のページにいつまでも空きがあるのは当然だった。あれは外部の販売ページで、実際の船室在庫が自動更新されるわけではない。しかも「申し込む前にお問い合わせください」とはっきり書いてある。満室なら、問い合わせたときに「空いていません」と言えばそれで終わりだ。僕が予約できるかどうかなんて、サイト側には知ったことではない。

その仕組みを理解したのは、4月になって南極旅行の攻略を真面目に調べてからだった。まずは会社を選ばなければならない。自社で船を運航し、そのまま南極まで連れていってくれる会社なら、さらに代理店を挟む必要はない。代理店経由だと、どうしても余計に高くなりそうな気がしてしまう。いちばん安い船室でも1万ドル近いのに、そこからさらに中間マージンまで払ったら、いったいいくら損するのか。

南極へ行ける会社はそれなりに多く、攻略記事を読むと検討項目が次々に出てきた。南極での上陸には、上陸地点の受け入れ人数、グループ分け、上陸やクルーズに使うゾディアックボートの運用など、いろいろな制約がある。一般的には、船が大きく乗客が多いほど、上陸の運営にも制限が出やすい。大きな船は揺れにくく船酔いしにくい代わりに、上陸時間が短くなりがちで、小さな船はその逆。スタッフやガイド、乗組員と乗客の比率も大事で、スタッフが少なすぎるとサービスが落ちる。何日も船で暮らすのだから、これは無視できない。ほかにもあらゆる項目に評価があり、読めば読むほど頭が痛くなった。

最終的には、ある記事のおすすめを信じて Lindblad Expeditions を選んだ。値段は高めらしいが、サービスがとてもよく、かなりプロフェッショナルだという。そして、この会社を選んだ大きな理由がもう一つある。長年 National Geographic と提携していて、プログラムの正式名称が National Geographic-Lindblad Expeditions だったのだ。南極クルーズ会社のことは全然知らない。でも National Geographic なら知っている。名前を聞いただけで一気に信用できそうな気がした。

会社を決めたら、次は出発日を選ぶ。日程はたくさんあり、だいたい週に一本くらい。ただし、日によってルートが少しずつ違う。アルゼンチンから船で出発し、帰りも船でアルゼンチンへ戻るものもあれば、帰りは飛行機でチリへ向かうものもある。中には出発も帰着もチリで、往復とも飛行機というルートまであった。

当時僕たちが聞いていた話では、アルゼンチンと南極の間にあるドレーク海峡はかなり恐ろしく、世界でも特に危険な海域の一つだと言われていた。地図を見ると、その評判の理由も分かる。南米と南極の間にある海の通り道で、南極環流が通過する。南半球の高緯度にはもともと強い偏西風が吹き、南極の周囲にはそれを遮る大陸がほとんどない。強い海流に、強い風とうねりが重なり、ドレーク海峡は荒れることで有名になった。

僕は船酔いがかなりひどいので、できることなら避けたかった。でも、もう避けられなかった。予約した時点で、往復とも飛行機を使う船は都合のいい日程が満室。選べるのは2月末だけだったが、いろいろ考えてやめた。一方、往復とも船のプランは、船で行って飛行機で帰るプランより二日長く、数千ドルも高い。それなら安いほうを選ぶに決まっているし、ドレーク海峡で往復二回も苦しむ必要はない。結局、行きは船で南極へ向かい、帰りは飛行機でチリへ戻るルートにした。

その結果、アルゼンチンのビザが必要になった。往復ともチリから飛行機を使うだけなら、当時の僕の条件――中国のパスポートとアメリカのグリーンカード――では、チリにビザなしで入国できたからだ。

アルゼンチンのビザがどれだけ面倒だったかは前の記事ですでに書いたので、ここではもう繰り返さない。

とにかく、数々の困難を乗り越えて、ようやくウシュアイアに到着した。ツアーのスタッフが迎えに来てホテルまで送ってくれ、そのまま僕たちのパスポートを「没収」した。もちろん本当に取り上げられたわけではなく、渡航や遠征に必要な手続きを進めるため、一時的に預けたということだ。

その夜のウェルカムディナーで、ガイドが堂々と自己紹介した。名前はマイケル・ジャクソン。本人いわく、冗談ではなく本名らしい。彼が生まれたころ、歌手のマイケル・ジャクソンもまだ赤ちゃんだったので、あのスターにちなんで付けられた名前では絶対にない。

翌日は、近くの国立公園を見学した。正直、内容はちょっと薄めだった。

その後、ウシュアイアで有名な Les Éclaireurs 灯台を見に行った。

この島では、すでにたくさんのペンギンを見ることができた。ツアーのみんなもかなり興奮していた。でも二日後には、たぶんこの何十倍どころではない数のペンギンを見ることになるなんて、誰も想像していなかったと思う。

その夜、僕たちは南極へ向かう船、National Geographic Explorer に乗り込んだ。

南極への旅が、正式に始まった!