ICPC世界大会 2017

初めてコーチとして参加した世界大会。

この年の世界大会の開催地には、かなりがっかりした。もう選手ではないので、世界大会へ行っても基本的には観光して、試合を見て、イベントを楽しむだけだ。だから当然、どうせなら旅行先として魅力のある場所で開いてほしい。前年のタイ・プーケットはよかった。今年はというと……この場所を前から知っていた人、全員手を挙げてみてほしい。実際にマウント・ラシュモアへ行ったことがなければ、ここにあると誰が知っていただろう。

今回の旅費は大学持ち。これだけで気分がいい。一つだけ残念だったのは、その夏は大学で研究をしていて、本来なら受講者の多い授業のTAをして、当時の僕にとってはかなりの大金を稼げるはずだったことだ。ところが担当教員に相談すると、その授業のTAは一人しかいないので、いきなり一週間休む人は採れないと言われ、断られた。仕方なく別の小さな授業のTAになり、もらえる金額は半分になった。でも迷う余地はない。世界大会へ行くほうが絶対に大事だ。

この年の大学チームは、僕が「アメリカ人兄弟」と「香港記者」と呼んでいた三人だった。どうやって予選を勝ち抜いたのか、そしてなぜそんな呼び名なのかは、いつか書く予選総集編を参照してほしい。

今回はようやく、落ち着いた気持ちで一日観光に参加できた。主催者が連れて行ってくれたのは、この辺りで一番有名なマウント・ラシュモア。僕は香港記者と一緒に回った。さすが香港記者、目ざとい。なんと一人で歩いているtouristを一瞬で見つけた。少し迷ったあと、迷いを振り切って突撃し、写真をお願いして、無事に撮影成功。香港記者はずっとtouristの大ファンだったので、これは大勝利だ。写真を撮り終えると、touristはまるでゲームの瞬間移動とダッシュを同時に使ったような速さで消えた。これ以上ほかの人に捕まって写真を頼まれたくなかったのだろう。僕は撮れなかった。大損だ!

というわけで、ここには代わりに岩肌むき出しのマウント・ラシュモアを載せておく。当時の自分の写真を見ると、まだ若かったのに、もうこんなに若かったとは驚きだ。

その次は、クレイジー・ホース記念碑を見学した。これは何と言えばいいのか。確かに彫刻ではある。僕が聞いた話では、由来はだいたいこうだった。4人の大統領像が完成したあと、先住民の酋長が納得せず、「自分たちにも偉大な英雄がいる。そちらの大統領像より大きな像を彫る」と言ったという。完成予定の像は高さ172メートル、幅195メートル。楽山大仏の2倍以上で、馬の頭だけでも4人の大統領の頭より5メートル以上高い。完成すれば世界最大の人工彫刻になる。1948年に始まってから60年以上、酋長と7人の息子たちはまさに少しずつ山を削り続けてきたが、完成したのはクレイジー・ホースの顔だけだった。話によると、この計画に関わる人たちはアメリカ政府の資金を受け取らず、自分たちの民族的英雄の像を独力で完成させたいと考え、すべて民間の寄付で進めている。そのため資金が足りないらしい。

今の完成度はというと……写真の通りだ。手前にあるのは売店前に置かれた完成予想模型、遠くの山が実際の進み具合。この完成度、本当に10%もある?

大会当日になっても、僕にはまったくプレッシャーがなかった。選手たちにも、あまり緊張はなさそうだった。自分たちの実力は本人たちが一番分かっている。世界大会で正式な順位さえつけばいい。順位のつかないHonorable Mentionでなければ、それで十分だった。

ところが結局、Honorable Mentionになった。三人は63分で3問を通したあと、残りの4時間は取り組み続けたものの、新しいACは一つも増えなかった。そしてITMOは、今回も何の意外性もなく優勝した。

会場での僕は何もすることがなく、知り合いもいなかったので、ひたすら歩き回っていた。そのうち、上海交通大学関係者の小さな観戦グループを見つけ、かなり長い間、その後ろに座って問題の議論を聞いていた。正直、5時間は長いと思っていたが、時間は驚くほど早く過ぎた。何の変化もないスコアボードをぼんやり眺め、自分でも何を見ているのか分からないことがあった。それでも見ているうちに、2時間が消えていた。

大会終了後、夜になると、主催者が山を背景にした「ライトショー」へ連れて行ってくれた。わざわざかぎ括弧をつけたのは、これをライトショーと呼ぶのか? と言いたいからだ。山の中で適当に100人集めてレーザーポインターを持たせれば、同じくらいのものができるのでは? あまりにもショボかった。派手な光と音の演出をよく見る中国人の僕だから物足りなかった、というだけでもない。同じチームのアメリカ人コーチまで、何とも言えない顔になり、途中で会場を出ていった。その様子は、まるでこのショーがアメリカの恥だとでも思っているようだった。